遠藤 於菟(えんどう おと 1866年 - 1943年) 木曽福島に生まれる。東京外国語学校、東京大学予備門、第一高等中学校を経て、帝国大学工科大学校造家学科へと進学し、1894年卒業。同期に野口孫市や矢橋賢吉がいる。1895年横浜税関嘱託(税関倉庫工事監督)、神奈川県技師、農商務省生糸検査所嘱託(生糸検査所本館工事監督)、大蔵省臨時煙草取扱所建築部監督嘱託などを経て、明治31年(1898年)には横浜正金銀行技師に就任した。横浜銀行集会所や三井物産横浜支店、横浜生糸検査所などの代表作を横浜に残す。 |