木子 七郎(きご しちろう 1884年4月30日 - 1955年) 大阪を拠点に、多くの公共建築などの設計を手がけた建築家。とりわけ、妻 カツの父 新田長次郎(新田帯革製造所(現ニッタ)創始者)の出身地である愛媛県に多くの名建築を残した。 1884年(明治17年)宮内省内匠寮技師の木子清敬の四男として京都に生まれる(兄に、同じく建築家の木子幸三郎がいる) 1896年(明治29年)高等師範学校附属小学校卒業。1901年(明治34年)高等師範学校附属中学校卒業。第四高等学校を経て、東京帝国大学工科大学建築学科に入る。1911年(明治44年)東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し、大林組設計部技師として来阪。1913年(大正2年)大林組を退職し、木子七郎建築事務所を開設する。その後、日本赤十字社病院嘱託、日本赤十字社大阪支部病院嘱託、合資会社新田帯革製造所嘱託なども務める。1937年(昭和12年)フランスより、レジオンドヌール勲章を授与される。1955年(昭和30年)逝去。 |