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茂 庄五郎(しげ しょうごろう 1863年 - 1913年)
明治時代に関西で活躍した建築家。関西の建築設計事務所設立の草分けとして、また工場建築を多く手がけたことで知られる。
1863年2月長崎生まれ。1891年7月に東京帝国大学造家学科選科を卒業後、尼崎紡績技師となり、尼崎工場の設計監督を行った。その後、海軍省に入り、呉鎮守府に着任したが、ほどなく辞職し、1895年(明治28年)に大阪に茂建築事務所を開設した。当時東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪において工場建築に着目し、関西の多くの工場建築の設計監督に携わった。また、関西商工学校(現関西大倉学園)の創立にも参加し、監事を務めた。1913年3月に腎臓病により、大阪市北区の自宅で逝去。享年51。
   
民間社屋
尼崎紡績会社 本社
ユニチカ記念館
兵庫県尼崎市東本町1-50
設計:茂庄五郎
竣工年:1900年(明治33年)
交通施設
阪神電鉄 資材部西倉庫
兵庫県尼崎市北城内116
設計:茂庄五郎(推定)
竣工年:1904年(明治37年)