森山 松之助(もりやま まつのすけ 1869年7月15日1949年4月2日) 日本統治時代の台湾で活躍した建築家。外交官・貴族院議員を務めた森山茂の子として明治2年に大阪市東区平野町に生まれる。(叔父に五代友厚がいる。)学習院を経て、明治26年第一高等学校を卒業後、東京帝国大学工科大学建築学科において辰野金吾のもとで学び、明治30年に卒業。大学院、明治31年第一銀行建築係嘱託、明治33年東京高等工業学校の建築学講座担当を経て、明治39年に台湾に渡り、大正10年までの間、台湾総督府営繕課技師として多くの官庁建築を手がけた。明治45年には欧米各国視察のため出張している。その後日本に帰国し、大正11年東京に森山松之助建築事務所を開設し、多くの民間建築等を設計した。 |
工業施設 片倉館 長野県諏訪市海岸通り4-1-43 設計:森山松之助 竣工年:1923年(昭和3年) |
工業施設 片倉会館棟 長野県諏訪市海岸通り4-1-43 設計:森山松之助 竣工年:1923年(昭和3年) |
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公共施設 本所公会堂 両国公会堂 東京都墨田区横網1-12-10 設計:森山松之助事務所 竣工年:1926年(昭和元年) |
皇室施設 新宿御苑 御涼亭 東京都新宿区内藤町11 設計:森山松之助 竣工年:1927年(昭和2年) |
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民間社屋 米井ビル 東京都中央区銀座2-8-20 設計:森山松之助 竣工年:1929年(昭和4年) |
民間社屋 丸嘉ビル PIAGET銀座店 東京都中央区銀座7-7-1 設計:森山松之助 竣工年:1929年(昭和4年) |
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